大阪高等裁判所 昭和28年(ラ)7号 決定 1955年4月21日
抗告人 須田利子(仮名)
右代理人弁護士 伊藤増一
相手方 西野一男(仮名)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告申立の理由は、別紙抗告申立書に記載したとおりである。よつて、記録を調査すると、なるほど、相手方は、かつては酒癖悪るく、抗告人との離婚も相手方の酒乱がその主な原因をなしているのであるが、その後、後妻花子との間に次々に子供が出生し且子供も次第に成長するに及び、相手方自らも反省して大酒をつつしむようになり、最近では大酒による浪費や乱行により家庭の経済を破かいしたり或いは家庭の平和を乱したりなどするおそれが殆どなく、又後妻花子は前記のように実子をもうけたけれども、同女は穏和な性質であつて由子をいわゆる継子扱いにしていじめるようなこともなく、却つて、幼児の頃から養育してきた由子に対し、実子に等しいような愛情を生じ、由子も亦同女になついており、尚又、相手方は、その収入は必ずしも多額ではなく生活程度ももとより裕福とはいえないけれども、現に○○電気鉄道株式会社に工員として勤務し、社宅を割り当てられ、生活も一応安定しており、現在由子はかような相手方の家族の一員として同人の親権の下に平穏な生活をしていることをうかがうことができる。もとより、抗告人は、由子の生毋として、しかも抗告人としては一人子の由子に対する愛情の念の強いことは充分察せられるところであるが、相手方も亦その実父として殊に生後引きつゞき今日まで自己の膝下で養育してきた由子に対し、抗告人に劣らぬ愛情を持ち、将来も親権者としてその監護及び教育に努めることを期していることを看取するにかたくないのである。
右のような事情のもとにおいては、たとえ、抗告人主張のように抗告人の生活程度、資産状況が相手方のそれに比べて幾分勝るものであり又抗告人の家族の状況がその主張のとおりであるとしても、由子の親権者を相手方から抗告人に変更して由子の生活に変動を与えることは、必ずしも、現在の由子のために幸福であるとは即断できないし又現状を続けることが由子の将来の幸福を妨げる原因となるものとも思われないことは、原審判が指摘したとおりであるから、由子の利益のために親権者を変更する必要がないものと認めて抗告人の申立を却下した原審判は相当であり、他に原審判を取り消さなければならないような違法や不当の点は見当らないから、本件抗告は理由がないものとして、これを棄却することとする。
(裁判長判事 林平八郎 判事 竹中義郎 判事 入江菊之助)
抗告の理由
一、省略
二、抗告申立人に於て不服とする諸点は左の通りである。
(一) 抗告申立人と相手方間の生活程度、資産状況に於て双方を対比しても、
1、抗告申立人は○○沿線○○町○○○に実弟一政名義で木造瓦葺平家建住家一戸(審判書に借家とあるは誤りてあつて一応実弟名義であるが実際は申立人の所有であり其の敷地も亦同様である)建坪十二坪(三畳、四畳半、六畳、外に炊事場あり)を有し、同家に申立人の外実毋タケ及実妹の合計三名(審判書中四名とあるは之亦誤り)暮し、妹は小学校教員として奉職し、申立人は○○鉄道株式会社の一級社員として月俸一万四千九百四十円也(審問当時月収八千円と述べたのは寧ろ寡少に申述したものである)を得てその内約三千円也を生活費として毋に手渡す外は全部自己に於て自由に貯え、むだ遣いすること殆んど無い。
2、之に引かえ相手方は○○鉄道株式会社○○○○社宅(三畳、四畳半、外に炊事場あり)一戸を借用居住し、不動産無く日給三百六十四円也に家族手当等を加え毎月一万一千円から最高一万四千円程度の収入を得、之を以て一家四人(但し現在は審判書にも示されている様に男児出産の為五人)の生計を維持せねばならず、相手方自身右収入から一ヶ月少くとも五、六千円也の酒煙草代を費消しており、その生活裕福とは云えない。
等経済面からしても遥に申立人の方が裕福である。審判書中相手方は昭和二十七年○月○○日○○労働基準局より○○○○○溶接工の免許状を下附され、月収一万四千円程度得ている旨認めているが、大工以外に○○○○○溶接工として何等之に依る特別給は受けていないばかりか、酒癖悪く同僚或は上役の評判も好ましくなく、欠勤勝でその収入も日給の為固定せず誠に不安定な生計を樹てゝいる。
(二) 未成年の子、由子の環境について観ても、抗告申立人方は現にその実妹が小学校教員に奉職し家族いづれも血につながりひがみ根性を起させる憂い全くなく真竹の様に真直生育させ得る境遇におく事出来るが相手方は後妻との間既に二児あり将来僻みを起させる危険性多分に在り、更に相手方は酒乱癖があつて社宅内に於て近隣でさえ交際を避ける有様でその環境決して宜しくない。審判書では此の点に関し双方の家族を観るに相手方は大工、溶接工であり、妻花子はかつて工員であり、申立人はなが年のタイピスト、妹は小学校教員であつて毋親を加えた女世帯であるから、双方の家風にも自ら異なるところも窺がわれ、相手方の酒乱癖も治りきつたとは認められないので、将来由子の学校教育に伴なう家庭の訓育については多少の危険もないとは云えない云々と述べ、その境遇の悪いことを認めている。果して然らば三つ児の魂百までの例えのある様に学校教育の年齢を待つまでもなく、今こそ悪境遇より抜き良境遇に就かしめねばならぬ時機では無いか。
(三) 又相手方の妻花子が朝早く由子を連れての工場通いを罷めたとしても却て妻の収入なくなり、それ丈全家族が相手方一人の限られた収入に依存し生計は苦しくなること必定で近い将来再び妻の工場通いの始まる事明白である。妻花子の工場通いを罷めた原因は申立人の本件申立後継毋として世評を案じたのと、繊維業界の不振に因る人員整理の為である。原審は余りにも皮相的に観察し過ぎた譏りは免れない。
(四) 審判書では相手方が由子を里子に遣るとか、売り飛ばすとか云う風な気配全くなしと云うが、凡そ人の親として平静な心理状態下に於て斯かる事は考えられないこと勿論であるが相手方は至つて酒乱家で、右の気配はその酒乱時にこそ出すのであつて、之が為原審判庁に於ても認めている様に、申立人離婚後迎えられた後妻花子(審判書では寡黙の着実な性質で家庭内の整頓振りもよいと賞揚している)でさえ、長男明出産後相手方の酒乱に堪えかね実家に逃れ帰り離婚話も出た(申立人の本件申立当時)のである。今尚酒を好み酒乱癖やまないならば何時又由子を邪魔扱いし出すか判らない。此の時にこそ里子に遣るとか、軽業師に売り飛ばすとか放言し、その危険にさらされるのであつて、審判書の様に現在斯かる気配ないでは申立人として済まされない。真実斯かる気配の生じた時は時既に遅いの悔を残さないようにし度いのである。
(五) 証人山田美代、同岩田一郎、松田サダの各証言相手方第二回審問の結果によれば由子は妻花子に愛撫されており相手方も由子を愛しその愛着心の強い事は同人の供述並に此迄の調停の経過によつて窺われ家庭生活は従前よりは円満に行われている事認められると云うも、抗告申立人の観る処之亦結婚前の聞合せ的認定で証人等はいづれも態々申立人に告知して来た事と裁判所で云う事と相違し或は断定的言辞を避けており真相が表明せられていない。要するに相手方の酒乱に依る後難を虐れての結果である。(申立人に於て証人として出廷を依頼した人達に於て相手方出廷と同時に呼出されては嫌だと拒否して来た事実も二、三度ある事に徴し推認される)
吾人経験則に照して考察しても子は生毋の膝下に生育せられてこそ真に幸福である。生毋あり父なき子の犯罪者の多い事実より観て毋なる者の幼児に対する影響力の甚大さに痛感せぬ人は恐らくあるまい。如何に継毋に愛情があつても継毋に子無ければ知らず、出産すれば、我が腹を痛めた子に愛情の偏することは人の常である。相手方妻花子に於て既に二児あり、由子に愛情あると云うも云うは易く行いは難しである。
(六) 申立人は独身であり高級社員であるから何時良縁があるかも知れない立場に在ると暗に由子を引取つても又継毋に代えるに義父の下につかしめる結果を虞れている様であるが、申立人は初婚に於て酒乱の夫に苦しめられ乱暴打擲に堪えかね遂に離婚調停を申立て、此の時も由子を手放すまいと極力歎願したが自己の離婚すら相手方は承知せずもめ抜いた為調停委員方の勤めもあり一先づ離婚し後日由子を引取らんと隱忍して来た処相手方は申立人の離婚後妻を迎えること花子を加え三度、その都度酒乱癖で逃げ帰られ、由子は始終幼けなくして苦労を重ねているを知り、遂に本件を申立てた次第で離別当初より深く再婚を断念しており、一生を由子養育に挺身する決意を固めていて毋、兄弟姉妹も挙つて申立人の本件申立に援助しているので由子に対し義父を迎える憂い全くないと云わねばならない。
(七) 更に審判に不服の点は審判に立会した参与員○○○○氏の言動である。同氏は審判告知前既に申立人の実姉に対し審判結果を暗にほのめかしていたと云い、又その意見書も誠に一方的不公平な根拠に乏しい文言を罹列している。然も申立人に於て当初から同女の参与員としての立会に不満を感じていた由であるが、審判の結果を見る今日まで云いそびれ、忌避することなく来たのであるが、申立人方と同女とは以前同参与員の学校教員奉職時代からの旧知であつたが、同参与員の教員退職後二回に亘り、申立人の実妹の縁談に就て媒酌を申出られ極力勧められたが、其の都度断わつたことあり、爾来同女の気嫌を損ね感情を害している事実あり、右意見書は従つて申立人えの悪感情も加味せられている感洵に深いものあり、然も此の意見が審判に重大な結果をもたらせている事判文上明白である点である。
三、審判書に依れば由子は相手方にあつて現在平隱な生活をしているから此の生活に変動を与えることは現在の由子の為幸福とは云えないとあるも、果して由子は現在までに生活に変動を与えられていないか。由子の生毋を奪つた上今日までその生毋に代えて継毋を三度まで変えた張本人は誰か。由子の生活に変動を与え他人に遣るのではない申立人はその生毋である。然も一身を捧げ日夜由子の幸福を願い由子の幻影を追い身も心も細る思いで、愛し子の我が手に帰るを待詑びている申立人である。原審判庁は余りにも皮相的、小局的な由子の幸福に捕捉せられている。抗告申立人としては右の外承服し難いこともあり、只管由子の真の幸福、此から伸びんとする若芽を若竹のように伸ばし育ててやり度い一念から更に徹底した審理を煩わし度抗告に及んだ次第である。